
ビースティ・ボーイズ〜すべての活動に貫かれたD.I.Y.精神
「アダムは僕にロープの結び方や、自分の好きなパンク・バンドのバッジの作り方、それからライブにこっそり入るための偽スタンプの作り方まで教えてくれたよ」
癌に冒され、2012年5月4日に47歳でこの世を去ったビースティ・ボーイズのMCAことアダム・ヤウク。彼らがその前身であるパンク・バンドを結成した14歳の当時から、アダムはグループにとって精神的支柱といえる存在だった。マイクDはこう続ける。
「彼はチベット仏教に出会う以前から、執念と信念を持ち合わせた人間だった。周りが一蹴するような奇抜なアイディアでも、彼は自分がこれだと思ったら何でもやり遂げてきた。 例えば〈Paul Revere〉(『Licenced To Ill』に収録)のビートも、僕らがスタジオでTR-808で遊んでた時に、ヤウクがふと『これ、逆回転で聞きたい』って言い出して生まれたものなんだ。その時、ランDMCのランも一緒だったけど、『こいつ、何おかしなこと言ってんだ?』って顔してたよ」
パンク・ロックで培ったD.I.Y.精神をもって、気になったことは何でも自分自身でトライし、実現させるのが彼のやり方だった。
27歳で自らのレコード会社「グランド・ロイヤル」を設立。 ルシャス・ジャクソン、ショーン・レノン、アタリ・ティーンエイジ・ライオットなど有望な若手アーティストの作品を次々と発表するだけでなく、自分たちの興味のあることだけを詰め込んだ『グランド・ロイヤル・マガジン』を発行し、アメリカのみならず世界各地のユース・カルチャーに影響を与えた。
1996年からはチベット独立支援を目的とする「チベタン・フリーダム・コンサート」のオーガナイズをスタート。
そして2002年には、アダム自身が代表を務める「オシロスコープ・ピクチャーズ」を設立。『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』や『ベルフラワー』などのインディー映画を世に送り出し、『撮られっぱなし天国』では映画監督としてもデビューしている。
「アダムと僕と、ビースティーズの初期メンバーだったジョン/バリーと一緒に、ブラック・フラッグのライブを見にペパーミントラウンジに行った時、彼は言ったんだ。『バンドやろうぜ。おまえらふたりはメンバーな』って」
14歳で友達とパンク・バンドを結成しようと思い立った時も、
27歳でグランド・ロイヤルを立ち上げた時も、
37歳でオシロ..